桜風涼(渡辺健一)の録音ノウハウ集

人間の進化は止まったのだろうか?

wataken2003

もともと宗教の成り立ちを知りたくて勉強をしていたら、いつの間にか世界史の研究になってしまった。
特にアブラハムの宗教(ユダヤ・キリスト・イスラム)は、宗教の成り立ち自体が歴史そのものだからだ。

仏教(ヒンズー教)、バラモン教は歴史から独立している

アブラハムの宗教を解説する前に、インドの宗教をちょっと考えてみると、実は、もともと古代インド哲学というのがあって、これはギリシャ哲学と同じように紀元前5世紀くらいが最高潮なんだけど、思想をかなり科学的な手法で創り上げている。哲学は今でこそ文系科目になっているが、元々は科学や医学、政治学など、この世の全てのことを対象とした学問だった。つまり、古代インド哲学も古代ギリシャ哲学も、どちらも科学の手法をかなり取り入れている。

それゆえ、実は、かなり普遍的な思想ができあがっていて、いや、むしろ、普遍的な考え方を追い求めた結果が哲学になっている。
さて、そこに宗教が加わるというか、哲学の中から宗教が飛び出すと言った方がいいのだが、ゾロアスター教やバラモン教(この2つは根っこが通じているようだ)は、宇宙の構造などを想起していて、かなり普遍的な教義というか思想をもっている。
例えば、宇宙はもともと無であり、そこにビッグバンのようなものが起きて、無数の物質や生命が生まれたというのが古代インド哲学だ。21世紀になって、やっとそれが実証できるようになったようなものだ。

何が言いたいかというか、古代インド哲学は、まぁ4000年前くらいに成立していて、そこで完成していた。後に紀元前5世紀に釈迦が生まれて、その古代インド哲学が大衆化して仏教になった。ギリシャというかメソポタミアでは、不幸なことにぞろアスタ=教は滅ぼされてしまって、その一部はインドや中国へ逃げている。それが仏教などへ影響を与えている。

まぁ、いずれにせよ、古田インド哲学は、思想的に完成されていて、変化がない。

アブラハムの宗教は変化し続けている

一方、アブラハムの宗教は、ギリシャの神やヒンズー教の神と色彩が違う。一神教と多神教のことを言っているのではない。
最初に登場したのはユダヤ教で、聖書の中身は歴史書だ。日本で言えば日本書紀を経典にしているようなものだ。人間と神の関係性を書物にしている。思想に当たる部分は非常にシノンプルで、神を信じよ、網に従え、だけである。まぁ、ちょっと乱暴だが、少なくとも科学的な論証を含んで居るわけではない

さて、ユダヤ教徒は何かと言えば、イスラエルの民という小さな部族だけの宗教だ。ヨーロッパは、国が乱立していて為政者がコロコロ変わる。それゆえ、生活規範もかわってしまう。イスラエルの民は小数の方牧民だったので、大国であるエジプトなどに奴隷にされてきた。そこで民族のアイデンティティーを保つために、自分たちの歴史と生活習慣を記述した誓書を創り上げた。

つまり、聖書は、歴史と生活習慣の記録であって、思想書ではないのだ。

キリスト教は、ローマ社会にイスラエル人(ユダヤ人)の地位が認められた後に、自分たちだけの宗教から脱するために、ユダヤ人の枠を取り外し、社会福祉の必要性から作られた宗教だと言える。新約聖書の中身は、実は布教方法がメインになっていて、思想的な色彩は、やはり強くない。

さらにはイスラム教は、砂漠の商人がユダヤ教を進化させたものだ。というか、ユダヤ教とキリスト教を国際社会に順応させたものだと言っていいだろう。

人間は進化しているのか

さて、本題だけど、人間は進化しているのだろうか。古代インド哲学やギリシャ哲学は、すでに普遍的だ。それゆえ、進化しているとは言いがたい。
一方、アブラハムの宗教は、一見、進化しているように見える。しかし、実は思想的には紀元前から同じで、神を信じろ、だけしかない。社会情勢に合わせるのは非常に上手な宗教で、それゆえ、世界の半分がこのアブラハムの宗教の信者だ。

さてはて。思想は、進化していないらしい。
そこで物書きは何をするべきなのだろうか?
困った問題だ。
一つ言えるのは、進化よりも、順応は読者を増やすポイントなのだろう、アブラハムの宗教のように。

哲学・思想独り言