小説を書くということは
小説を書くには、何が必要だろうか?
文章力だろうか、人生経験だろうか、センスだろうか?
物書きを30年もやっているのだが、どうも小説というジャンルはわからないなぁ。
ちょっと、弱気なのだが、実は先日、短編映画を撮った。1時間ほどで書き上げた脚本で2人の芝居を書いた。これは、僕の中では色々なことを気づかせてくれたんだ。
これまで出版した書籍は15冊くらいだろうか。電子書籍を入れると35作品を超えるかな。
台本を入れると数百作品にはなってしまうと思う。
もちろん、創作だけを数えても、100タイトルは下らないと思う。
多くの作品は、他社の名前で出ている。
プロの物書きとは
これまでの作品のほとんどは、依頼があって創作したものだったり、シリーズ物だったりする。つまり、自分が書きたくて書いた内容とは言えない。まぁ、職業物書きとは、そういうものだろう。
テーマが先にあって、それを必要な媒体向けにプロとして作り上げる。いろいろな人の意見があって、思惑があって、その結果としてギャラになる。
そうそう、物書きの新人は「金がもらえなければプロじゃない」とか「商業出版でないとダメだ」とか、よく言う。まぁ、それはそうなんだけど、僕は発注する側でもあるので、そういう青臭い話にも辟易する。確かに、大手出版社や新聞から創作の依頼があれば、それはそれですごい話なんだけど、実は、それも編集者の思惑だったり、取次の意向だったりして、果たしてそれが自分の作品なのかというと、なかなか納得しにくいと思う。
お金をもらうのは当たり前だが
小説に限らず流通に載るというのは、大企業のルールで仕事をするということだ。
まぁ、その対極に、お金にならない文章を書くのはどうなのかという極論があるんだけど、じゃあ、金に困っていなければ、好きなものを書けばいいということでもある。
そういう意味では、電子書籍は非常に自由で面白い。もちろん、そこで本を売るのは非常に大変なことだ。多くの人に読んでもらうには、やはり出版社と組むのがいいのだ。
自分の得意な『死生観』の短編映画を撮った
さてはて、そんな愚痴はともかくとして、作った短編映画は、死生観をテーマにしている。対変容戦争で死んだ人が、自分の御孫娘の前に現れるという小さな作品。まぁ、どうってことのない話だ。さして珍しい話でもない。気に入っている貧乏役者がいて、そいつを主役にしたかった。もう一人はヒロイン役で、こいつは大学の後輩で美人で頭がいいが、ちょっと幸が薄い。こいつも主役にしたかった。
だから、この2人のために台本を書いたということだ。テーマは自由に決められたので、僕が長年のテーマにしている死生観、いや、テーマと言っても創作物のテーマというよりは物書きとしてのテーマなんだけど、その一番分かりやすい部分を7分ほどの作品にしたのだ。
撮影は、実際には16時〜20時くらいの4時間。まぁ、じっくり撮ったとまでは言えないけど、演出は非常に丁寧にやった。
さて、この作品は、非常に自分らしいと思った。編集するまではどうなるかと思ったけど、構想していたものが、そのまま映像になったと思う。本当は特撮というか映像マジックを使おうかと思っていたんだけど、そんなのを使わなくても観られる内容に仕上がったと思う。
原点に帰ろう
派手な作品ではないので、何かの賞を狙うような物ではない。というように考えていたら、逆に賞を取るなら何が足りないのか、とプロデューサー的に考えてみた。
Kindleに『酒を飲む酒』というシリーズ小説を出しているが、実は、地味に売れている。好き嫌いが激しい作品で、ダメな人はダメ。好きな人には痺れるらしい。7年前に出版して、ファンから恐ろしい金額のオヒネリがあった。100万円を超えている。これを書いて、ある意味、自己満足しちゃっていたのがこの10年かもしれない。
ただ、この作品を書くのには、かなりのエネルギーが必要で、その元気がなくなってしまったのかもしれない。
ところが、今回の短編映画は、その作品と同じだと気づいた。編集してわかった。この短編も、酒を飲む酒の技法を使えば面白くなるんじゃないかと思う。いや、小説よりも映像の方が面白いと思う。
というか、酒を飲む酒の舞台となったばーがあるのだが、実は、今回の短編は、そのバーで撮影したのだ。
なんというか、小説よりも映像の仕事の方が圧倒的に多いのに、小説的な映像を撮ろうと思ったことがほとんどなかった。駆け出しの頃に、初めて撮ったのが『バレンタインカフェ』で、17歳の貫地谷しほりが主演している。まぁ、本当に映画の駆け出しの頃の作品なので、気恥ずかしい。カメラワークも、カット割りも、ああ、恥ずかしい。カメラマンも駆け出しだったしな。
それに比べると、今回の作品は、まぁ、ベテランぽいかな。
近いうちにYouTubeで公開になると思う。